ときどきちゃんと泣く


人間というものは年を取るにしたがって感情をあらわにすることをやめる
社会的な生き物です.だけど本当にそれでいいのかな,と首を傾げます.
どんなに安っぽくてもいいから,それがホンモノじゃなくてもいいから,
ぼくはときどきちゃんと泣くようにしています.いいオッサンが髭面下げて
めそめそするのはみっともないかもしれませんが,ストレスフルな世界で
不器用に生きていくためにはこれも致し方ないのだと自分を諦めてます.

まあ感情の吹き出し口は泣くだけがすべてじゃないのは確かです.大きく
笑ったり,激しく怒ったり.だけどトランキライザーをがんがんかました
頭の中は,笑うことも怒ることも泣くことも禁じられたようなものです.
強制的にこころを落ち着かせるために,感情をビクともさせないように
ネジで止められて.いつもつまんないなって表情で過ごすことになり,
人はそれを無表情と言います.だけど精一杯の努力の果てに,他人との
コミュニケーションを通じて少し微笑んだりバカなことに笑い飛ばしたり
することができます.周囲のみなさまの環境のおかげです.ありがとう.
だけどチェシャ猫みたいに笑いだけが浮かびあがって,怒るとか泣くとかの
別の表情の作り方がすっかり下手になってしまいました.だけどぼくには
何かに対して怒るなどということができるはずもなく,思い出したように
ときどき泣く練習をするのでした.…だけどそれにも限度があるような.

なんだか最近泣いてないな,そして気分はあんまり冴えないなあ,などと
思っていた時にふらりと立ち寄った本屋.適当にいつものようにいろいろと
本を漁っていたところ,何度も読んだはずの文庫本にまた手が延びました.
そして立ち読み.やや強制的に心のデリケートな部分をぐいぐい押されて
本屋でたちずさんだまま涙をだばだば流すもうすぐ28歳.そして衝動的に
隣のCDショップに駆け込みアニメ化されたDVDを札びら切ってレジに出す.
実はレジでお金のやりとりをする間も声を出したらもう泣く一歩直前まで
揺らされていたのでおおわらわでした.なんで螢すぐ死んでしまうん? と
何度も見たはずの映像が頭の中を走馬燈.毎年毎年毎年夏になるとテレビで
必ず放映されるのは判っているのにわざわざ買う.踊らされまくりです.

ほろほろ泣きながら自転車をかっ飛ばしていると,携帯にメールを受信.
友人がオーバードウズして強制入院したらしい….彼がいったい何を思って
何をしたのかはもういい,ただ生きててくれて連絡をしてくれただけでも
よかったと思う.ぼくも感情をコントロールできないことはよくあるから
何が起こってもおかしくないのだし.今また心の闇に逃げ込んでしまった
友人に,もっとちゃんと泣いとけよ,って教えてあげればよかったなあ.


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