散文「踏切」


偽物の金属音が等間隔に響く.黄色と黒の遮断機がゆっくりと降りる.
ぼくは視覚にしろ聴覚にしろ焦点をどこにも合わせぬまま立ち止まる.
夜になって間もない.まだ空は黒とも青とも言いがたい.光が乏しい.
轟音はまだ届かない.秘やかに地面を這う振動.ぼくは何も考えない.
規則的な音が収束する.空気が大きく揺れる.徐々に大きな音になる.
列車が近付いて来る.少しずつ速度が衰える.淡い夜が押し開かれる.
車輪の音.ぼくを呵む総てのもの.吠えられる.ぼくは何も考えない.
ライトが視界に入る.目を刺し掠め流れてゆく.目の焦点に飛び込む.
その軌跡を客車の窓がなぞる.頚を少し上げる.車内灯が顔を照らす.
窓の向こうにたくさんの人がいる.幾人かは立ち上がる.荷を下ろす.
幾人かは座ったまま誰も見ない目でそこに居続ける.照らされながら.
いずれにしろその箱は人間の営みの標本である.何人かが立ちあがる.
何人かは立ち上がらない.人は自由にそれぞれ自分の行動を選択する.
そんな人たちを外から見る.ぼくはどこにいるのであろうか.擬超越.
あらゆる世界から外された気分.足元が揺れる.ゆるいめまいの感覚.
列車が左へ通り過ぎる.音が静かに絞られる.車輪の音が名残となる.
視覚と聴覚は解放される.目を遣る.遮断機が気もなさそうに上がる.
鈍い光が列車の後ろ姿を照らす.ひとつゆっくりと長いため息をつく.
なぜあの車輪はぼくを轢き潰しもせずに通り過ぎたのかと考えながら
何も見つめないで歩き出す.やがて融けて記憶から消える空虚な生活.

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