「頑張る」という罰ゲーム


そりゃあもう高校生の頃には鬱まっしぐらな子どもだったわけですから.
親とのバトルは毎晩毎晩繰り返されていたわけですね.まあ死ねだとか
クズだとか生まれて来なければ良かったのにとか,そういう精神的外傷を
ざくざく受けつつ青春どまんなかな日常を送っておりましたのですよ.

一番つらかったことのひとつとして,めでたくもないお正月に,ポスターに
黒マジックで「頑張る」と書け,と強要されたことなどが思い出されます.
しかもそれを目が醒めたら一番に見えるところ,つまりベッドの上の天井に
貼っておけとの御命令.なんかこれ拷問に等しくないですか今さらながら.

とにかくおびえ続けていた鬱どんづまりのころ,現在効果的とされている
心のケアは一切なされぬままにざくざくトラウマばかり増えて行きました.
今生きてるのはなんともおまけの人生みたいなもんですから.なんかもう
すぐ泣くとかすぐ落ち込むとかは御愛敬と言うことでひとくくりにして
日々を過ごしております.今もしあのころの自分に戻れたとしても,結局
親のひとたちからの攻撃に撃墜されて似たような人生を送ってるでしょう.

親のひとと友人,どっちが信用置けるかって尋ねられたら即答しますよ私.
その結果で親のひとが泣こうが怨もうが喚こうが知った事ではありません.
ぼくは現在のぼくの考えで,人間として信用できるほうを選択するだけで.
「甘やかすだけの人はその人をダメにする」とか言いますが,甘やかすこと
ひとつもできなかったひとがなにおっしゃいますかとこちらも叫びたい.

いや,でもこちらとしても事を荒立てる事などしたくはないので,薄甘い
偽笑顔のまま親子の団欒を冷ややかに続けていくことになるのでしょう.
それもまた人生.こちらから怨まないし希望しないからそちらからもそう,
ぼく自身に自分ができなかったなにかを期待したり切望したりしないでね.
結局それが絶望に繋がるんだとしたら,それは悲しい話だと思いませんか?


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