ていどひくい.
無気力が無気力で無気力へ無気力は.なんかとってもへのへのになったまま
どたばたした数日間でありました.二度目の学会論文提出に向けてあれこれ
画策したり創作したり暗中模索だったりしてたんですが,全部やめやめ.
発表自体を取り下げる事にしました.いったん発表しまーすと名乗りあげて
そのあげくにやっぱりやめまーす,というのはとってもかっこ悪いことだと
思うんですが,どうしても越えられない一線というのはあるものでして.
さてここから言い訳ターイム.ぶざまと笑わば笑いたまえみなさまがた.
こういうことを晒してこそ後々の個人的な感慨は深まると言うものです.
指導教官にはいろいろと忙しいところ質問しにいったり相談しにいったり
してたんですが,究極的には自分でアイディアをほじくりかえさなくては
ならないわけです.まあ自分の論文ということですから.でもあれこれと
やってみると,結局自分ではなんにも考えてない事に気がついたんですね.
いや,というか,気づかされた.否,名指しで面と向かって言われました.
「考えろよ」.いや当然ですが,研究者というものはなんか他のひとたちが
考えもつかないようなことを考えているからこそのものなのでありまして.
「自分で考えずに課題をこなすだけじゃ小学生だからね」と諭されまして,
まあいろいろ自分で考えてみたわけです.おうちに帰ってごんごんごんと.
するとまあなんとなく,ほんとーに自分でなんにも考えてないんだなあと
いうところに結論が落ち着きまして.それも非常にすわりがよいかんじで.
こりゃ論文なんか書いてる場合じゃねえやと.それよりももっとなんだか
やらなんならんことがあるやろ,というところに転がっていったのです.
「日々考えていること」と思っていたのは実は「日々思っていること」で
しかないということに気がついてみたり,あれこれとある課題をなんとか
こなしていくだけでは実は大学院生としてはかなり程度低いということを
思い知ってみたり.まあなにか「考え」なくちゃいけないということだけは
確かなようです.研究者としてなんとかやっていこうとするならば,ね.
ところが.現在の我が身をふと振り返ってみるとですね.毎晩毎晩体の中で
化学反応起こすくらい服んでいる薬.あれって「考えるのをやめる」ために
服んでるんですよね.薬の注意書きには「憂鬱な気分をやわらげる」だとか
書いてありますが,要するに憂鬱な事を考えないようにしているだけの話.
できるだけ,こむつかしいことは考えないようにしてラクに生きようね,と
いうための薬が大半なわけです.…んやや? なんか話が矛盾してこないか?
今のところ正常なフリをして生活をしていくためには,「考えない」という
ファクターが重要になって来るわけです.これを研究生活と重ね合わせると
なんか矛盾が生じて来る.詭弁っぽくなったりいいわけがましくなったり
するのも若いうちの特権だと承知の上で思ってみるに,トランキライザーを
服みながらの研究生活というのは他のそうでないひとよりもちょっとだけ
大変なようです.で,その大変さを克服する素地がないままに現在までを
過ごして来ている以上,なんかもっと大変なことになってしまっていると
思ってみたりしちゃったりしてよろしいのでしょうか万国のみな皆様方?
全部が全部薬のせいということにはしたくないです.結局自分の事だから.
だけどいままでなんとか乗り越えて来ずにくぐり抜けて来ただけの事柄が
やっぱりどっかり居座っている事は確かなようです.困ったことですが.
それに気がついてからというものなんだか腰がくだけたようになってしまい
動けなくなったんですね.考えない研究者の論文なんてただの落書きです.
考えない考えない考えない,とか思っているうちに時間が過ぎてしまい.
結局のところなんかいろんなひとに迷惑をかけてしまったことになりますが
やっぱりぼく個人の人間性に問題があったと申せましょう.でもこれからも
同じような循環は続いて行くわけで….やっぱり研究とかいう高尚なものは
できないんじゃないだろうかと不安で不安で不安で不安で.ペーストせずに
手打ちで「不安で」を四回も打つと不安さが増しますね….ということで
そんな不安な気持ちを転がしてほったらかしたまま日々は続くのでした.