わたしには虚言癖があるのか
できそうもないやくそくをする
できなくなってこまってしまう
じかんはすぎるいっぽうである
ごまかしますかあやまりますか
レポート提出とかそーいった軽めの「約束」でさえ,ぼくにとってそれは
結構シビアな「約束なんやからな,約束.できなかったら首根っ子を…」の
世界がインナーワールドに展開されてしまい,その言葉の重さにしびれて
いろんなものが恐くなってしまう状態にロックオンされてしまうんですね.
とりあえずだいじょうぶだとわたしはいう
とりあえずとりあえずとりあえずのうちは
とりあえずがとりあえずにならなくなれば
てんきのいいひにじてんしゃでにげようね
じぶんのちからでささえられなくなったら
そのままあきらめてくずおれてしまおうね
前回から二週間のラグをおいて,また首を吊るはめになりました.だけど
今回はすぐに家人に見つかってしまって,残ったのはカッターで切られた
バラバラのロープと,そして気まずすぎる雰囲気だけ.「死んだらなんにも
なくなるんだよ,悲しい話じゃないか」と泣かれる.ぼくもそう思う.でも
頭の中が煮え煮えになって混乱してる時にはそういう部分はショートカット
されてしまうんですね.もうなにがなんだかわからんが,死のう,とする
妙なカタルシスを見出そうと身体が勝手に準備をはじめてしまうんです.
がくんとくびがしびれてきたとき
ぼくはたしかにこうくちにだした
さよならぼくのじんせい
さよならなにもなかったいのち
気がついたら布団に寝かされてました.家人は困ったような感じで,ぼくを
介抱してくれていたらしい.ぼくはといえばまだメソメソ病が治っておらず
ほんのささいなできごとでぼたりぼたりと涙をしぼってしまうありさま.
適切な量の睡眠薬や安定剤を服んで,家から出られない日々が続きました.
そして今に到るわけです.いろんなひとの思惑から生かされていますが,
ぼく自身も将来の身の振り方なども考えつつぽえーんとしておりました.
でもまだなんにも決まってないの.誰かが不幸な目に遭うことで自分が
幸せになるという場合,自分の幸福に躊躇してはいけないんでしょうか.
…ここまで書いてみて「これ全部ウソだから」で済ますという手はどうか,
「悩んでないけど休みたいから休んでましたエヘヘ」とかいうのはどうかと
考えはじめました.それで矛盾が生じないのであれば,とある世界において
その心情やココロのシクミは正しい.そうすることはカンタンだし,なにも
考えなくて済むからラクなんだけれども,でもそれは少し違和感がある.
…やっぱ虚言性とまではいかないようです.むしろ辛いことでもあるけど.