物は壊れる,人は死ぬ,三つ数えて,目をつぶれ
日本というお国の習わしとして,夏には先祖が帰って来るらしいぞ.で,
昨年亡くなった祖母のひとのお墓参りを親のひとから仰せつかりました.
でも墓がある場所を知らないので親のひとたちが教えてくれる道筋を必死で
メモとりました.でも.母親の人と父親の人が言ってる内容が微妙に違う.
もちろん自分自身には方向感覚などまるでないし土地勘のない場所だし,
まったくもってどうなるのやらーと思いつつ身ひとつで出かけてきました.
とりあえず近くの駅で下車.そこから指示された方向に向かう.だけども
線路沿いに歩くのが精一杯で,とにかくひとつずつランドマークを頼りに
丁寧に道をなぞってゆく.ああこれが倉庫のような駐車場,ああそれが
線路沿いの大きな踏切.駅で買った冷え冷えの緑茶缶が夏の気温とぼくの
体温でぬるくなったころに,ようやく目的地周辺へとたどり着きました.
いまはもうはかなきものとなってしまいそのなごりだけを埋めた墓石に
水をかけ,湯呑みを供え,緑茶缶をぷしっと開けて湯呑みのそばに置き
目を閉じて手を合わせました.神様も仏様もいまひとつ信用できないので
宗教的な行事にはあんまり進んで参加しないのですが,はいこの日から
この日までは故人のことを偲びなさーい.という期間を設けてあるのは
そんなに悪いことではないと思いました.花崗岩や石英に対して神妙に
手を合わせることで,思い出を取り返せるのならば.だけどはたして逆に
自分がそうされる立場になるとすると,それはちょっとやっかいな話だと
思ったりもするのでした.自分のことを嫌いだと叫ぶナルシストならば
みんなそう思うんじゃないかなあ.自分の血が好きなのと言って身体中を
泣きながら刻むひとも,こんな自分が嫌だとおびえながら死ぬほどの薬を
飲み込むひとも,自分の首を自分で比喩でなく締めて涙を流すひとも,
一生消えない身体の傷のせいで親からも迫害されて死のうとするしか
なかったひとも,実は自分のことが好きすぎて嫌いなんだと思います.
真夏の暑い陽射しの中,墓場にたたずみじっと目の前の石を見つめていると
そんな方向へばかり思いがさまよってゆきます.いつまでも生きることなど
できないし,何のために生きるかもわからないし,だけど生きてるうちは
生きなくちゃいけないという世界のルールがなんだかもどかしく感じます.
必ずいつの日にかこの墓石も壊されてしまい,それでも何もなかったように
静かに地球は回っていくのだろうなあ.石よりも生きる力が弱い人間なら
なおさらのこと.もう一度目を閉じて,ゆっくり数を数えて立ち上がり,
少ししおれながらおうちに帰りました.いつかは自分もそうなるのだけど,
やっぱり誰からも忘れ去られて逝きたいな,と辛気くさいことを考えつつ.