ほくっと起きる.雨が降ってないと
とたんに調子が上がります.非常に
判りやすいわたくしの中身.さてと
今日は朝からしゃっきりと仕事する.
朝食べたミントチョコのせいで少し
ハイになっているきらいもあります.
だけど走れる時に走っておかないと
人生淀みっぱなしですから.だから
動けるうちは動いておきましょうと.
同じ曲を一曲エンドレスリピートで
気が狂うほど聴く.たまにはこんな
視聴方法もよいものです.たまには.
そんなこんなで仕事も終わり,帰宅.
泊まりに来ている友人が洗濯物など
やってくれていたらしい.感謝感激.
今日は晴れたので洗濯物もよく乾き
うれしいことです.それじゃ食事に
行きますか.今日は外食なのでした.
大阪らしいものをということなので
ベタベタにお好み焼きで.うまうま.
その後友人が京都のガイドブックを
買うとかで,本屋へ移動.のそのそ
探してお気に入りを見つけたらしい.
明日は京都めぐりだそうな.…正直
近いながらも京都の魅力がひとつも
判らぬ不調法なわたくしめとしては
湯豆腐うまそうとか言ってるよりも
財布の紐を握りしめろ,とか思うが
観光とはそういうものなのだろうと
思って口には出さない.大人だから.
でも日記に書く時点でダウトな気分.
家に帰り四人それぞれ自分の時間を
過ごしております.今日から週末に
かけて晴れとのことなので安心して
朝を迎えられるというものです.が,
だからといって必ずしも遅刻しない
保証があるわけではないのですよね.
我ながら正直過ぎると,ちと感じる.
難しいこと考えると頭ぷしゅーだし
薬服んで忘れちゃえ.寝よう寝よう.
こんにちは。晴れが続くようでなによりですね。こっちも今日は晴れました。寒いですが。
走れる時に走っておかないと、というのはすごくわかるのですが、それだと常に走りっぱなしでいないといけなさそうな感じがして、ぐーたらな自分としては「たまには休ませてくれい」と思ってしまいます。まあ生活というのはそういうものなのかもしれませんが。
それと、「観光とはそういうものなのだろう」というより「意味とはそういうものなのだろう」と思いました。手前勝手な意見ですが、僕からしたら、京都観光も120ボタンあるアコーディオンも「ほほう」で終わらせる事が出来てしまうので。僕は一時期やたらとCD買ってたのですが、それも他の人からしたら「で?」で終わるでしょうし。あまりいろんなものを汎化するのもどうなのかって気もしますが。
> ゆーぼーさん
確かに走れるときには走っておかねば,という気持ちは
あるのですが,基本的にいつも走れない状態ばかりなので
たまにいける時にちゃんと走っとけ,という気分なのです.
意味について,すべてはそうあるものだと思いますよ.
興味があれば食いつくし,興味がなければふーんで終わりますし.
各個人がどれくらい興味のアンテナを広げてるかどうかで
人生の楽しみ方は変わるんじゃないかなーと.
ぼくの場合それが京都には引っかからず,アコーディオンは
ど真ん中だったわけです.そのへんは個性なのでひとそれぞれ.
度々すみません。「走れない状態」というのが気にかかりまして。「一般的な社会人としての生活を送れない状態」というのは確かにあると思います。今の僕がそうですし。ただ、それはあくまでも傍目から見た状態であって、内面的なものはまた別ですよね。僕だけかな。
ベッドに突っ伏してベターとしてる時でも、気持ちの中では「ううむ、これではいかん。なんとか走れる状態に持っていかねば」と焦るわけですし、実際動けるようになったら「今のうちに動けるだけ動いておかねば。またいつ何時嵐が来るかもしれないし」ってがむしゃらになる。結局どう転んでも頭の中は走りっぱなしのような気がするんです。
それは自分に自信のない、僕の性格に起因するものなのかもしれませんけど。僕は「あんだけやったんだから、今こうなっててもしょうがないよねー」とか「俺的には今週はよく働いたんだから、休みに休んでもいいのだ」等、過去の結果と現在の状況を肯定的に捉える事が苦手なので。
なので、走れない状態の時は、「ま、しゃーないよね」と思えてらっしゃるのかがちょっと心配になりました。そうであれば気持ちにメリハリがつくので問題ないのですが。
走れないときには「走れないやーごめんね」という感じですかねえ.
無理すると歯車が空回りして炎上しそうなので,
いろいろ悟って無理はしないようにしております.
急ぐときほどゆっくり歩く,というのがモットーですよ.
ゆーぼーさんも難儀な心のわだかまりをお持ちのようで,
心中お察しいたします.気持ちは痛いほど判ります.
過去を肯定的に捉えるのって難しいですよね.
でも,いつかいろんなことが許せる日も来ると思うのですよ.