死にたい日もある

なんかいろいろいろいろありまして
昨夜はほろほろと泣いておりました.
泣きたいから死にたいへはたやすく
遷移するので,ふとしたはずみとか
ないように,いや,別にあったって
大したことない人生だったとも思う.

起床.感情だけが死んだままですが
出かけないわけにもいきませんので
表情が凍ったままスタジオへと移動.
楽器の練習を.だけど心が動かない.
本当にびっくりするほど鎮まってる.

こういう時に限って演奏はそんなに
悪くないと褒められる.こぼれても
冷静に対処していると.いやこれは
冷静ではなくて熱情がないだけです.
ちゃんと笑えないまま八時間が経過.
予約時間が終了したので撤収と解散.

ハンバーガーを買っていき,荷物を
ごろごろしながら帰宅.笑えなくて
泣けてくる.同居のひとにいったい
どうしたのか訊かれても,あーとか
うーとかしか答えられない.そして
また今日も風呂に入る.ひとしきり
ざぶざぶとシャワーを浴びましたが
こぼれる雫はなにでできているのか
水か汗なのかなんなのか,どうにも
判ったものではありません.今日も
薬を服みます.薬を服んでこころに
力をつけて,力がついたふりをして
寝ることにします.おやすみなさい.

死にたい日もある」への2件のフィードバック

  1. ぐれふる

    私なんて死にたい日があるどころか、
    一日に数回死にたいとか死んでもいいとか、特に理由もなく思うわー
    もう10年くらいずっとこうなんで、いやその前も冬場とか同じ状態だから、
    既に日常茶飯事。
    そんで思うのですけどもね、
    思うに私の場合はですね、なんか別の適切な語句があるのに、
    それが脳内でやけくそだったりもやもやだったり悲しかったりする感情の代名詞として間違って位置づけられてるんじゃないかなって思うことがあるんですね。
    たぶん、ほんとに死にたいような時って、
    病気で激痛だとか、ヤクザに借金して”明日までに返さないと山奥で自分の墓穴を堀った上で生き埋めになってもらう”とか宣告されてて見張りついてるとか、
    それくらいのレベルじゃないかと思うわけなんですよ。
    なので、一体なにをどう横着して、”死にたい”というアバウトな言葉で自分の感情にラベルを貼っているのかについて思索することにしています。
    まあ適切な言葉のラベルを貼ったところで、
    ” うわー こんなに絶望して悲しんでるんだ ”
    とか自覚してしまうと、本気で死にたくなるかもしれないけど、
    ” 自分はただ単におなかがすいてたり、色々努力するのがめんどくさいだけなのに、それを「死にたい」などという不穏当な言葉にすりかえて、あわよくば
    死んでしまうかのような状態にせんとするテロリストがいる、脳内に”
    とか妄想すると結講楽しいです。
    自分の場合、むしろテロとかそういう必死感はなく、
    ” こいつがやる気になると私がめんどくさい ”
    というもう一人の私(すっぴんジャージ、風呂はいってない)が、
    あー それ死にたいって感じじゃない? うんそう、絶対そう!
    とか強引にラベル貼ってる気がするんですよね。
    しかもそのラベル曲がってるし、のりがちゃんと濡れてなくて、
    すんげー汚いんだろうなって思うの。

    返信
  2. kc

    なんとなく呼んでる気がして久しぶりに読みにきました。
    なんと声をかけて良いかわからないけど、近くにいるなら手をムギュっとしてあげたい気分です。
    いや、遠くにいても心の中でムギュっとしてます。

    返信

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